2年目の3.11

日本を大きく変えたあの日から今日で2年になりました。
長かったのか短かったのかよくわかりません。
「津波が来た」
というメールを最後に石巻の彼からの通信が途絶えた1週間があっという間だったのは覚えています。
私の自宅は内陸部で、最も地震が大きかった所でした。
刻一刻とかわる沿岸部の状況も断片的にしかわからず、内陸部ではガソリンが手に入らず、私の自宅近辺は陸の孤島となっていました。
一番近い給水所まで10Km以上あるような田舎ですから、車がないとどうにもなりません。
石巻に探しにいこうか
そのためにどうやってガソリンを手に入れるか
考えながらも家畜のたくさんいる我が家は日の短い日中のうちにやらねばならないことがありすぎて1日また1日と過ぎる。
不思議と悲しくも辛くもなかったんです。
また必ず逢えるという確信があったというか。
根拠も何もないうえに、それは確信ではなくただの願望だったのかもしれませんが。
もう何日目だったかも覚えていないのですが、徒歩で隣町まで買い出しに行く道すがら、ようやく受信できるようになってバラバラと入ってきたメールに「全員無事です」という文字を見たとき、人目もはばからず泣いていました。
そうしてとるものもとりあえず向かった石巻で見た光景は、テレビで断片的に見ていたものとはかけ離れていました。
なんというか。。。
言葉に出来ません。
映像が伝えられることなんて、本当に断片でしかないのだといやでも実感する光景でした。
あんなとこによく住めるねと言われることもありますが、日本なんてどこに住もうと同じくらい危険でしょ?(笑)
だったら。この町から。
縁あって住むことになったこの町から発信していこう。
なにも復興復興と騒ぐことだけが私たちに出来ることではないのだから。
どこに住もうと仕事は出来る。
被災したその町で暮らすことも、私たちに出来る復興の第1歩でしょう。
私は1歩を踏み出しました。
2歩目はどこに着地するのか。
そのお話はいずれまた。。。

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